先が読みにくい世の中なだけに、かえって、長期的な視点に立ってものごとを進めよう、という声が高くなります。
われわれの部署でも、長期ロードマップ作りをしています。なんだか、毎年のようにやっている気もするのですが、
最初は3年ロードマップだったのが、5年になり、7年になり、10年になり、と作るごとにだんだん長期化の一途を辿っている
ようにも思えます。実施しなかったことは、ウヤムヤに自然に消滅し、新たな夢のような企画がとってかわる
のですが、夢も、更新するたびに大きくなる、というのが特徴です。
前の上司は、「ロードマップは旬のものですから」と喝破していました(追記1)が、
まあ、それにしても、この10年で何が変わったかと改めて考えてみると、携帯の急激な普及と、小型軽量化、高性能化、最近では、カメラ
も付き、デジカメの性能にも迫ろうとしているし、そういえば、デジカメもここ最近に急に普及した商品ですよね。
パソコン、インターネット、バブル(土地、IT)、なんて考えて
みれば、ものすごい変化です。
毎日毎日、昨日と今日と
変わっていないように思っても、振り返ってみれば社会の変化は大きく激しい。研究所長も何人も交代しましたし、数々の
迷言と数々のロードマップを残した(いや、残すことができなかった、というべきか)前の上司も今は別の部署へ派遣の身です。
ああ、明日はわが身、技術者は自分の身は自分で守るべく、歴史に学び、明日を読み、技術開発にいそしまなければいけません。
最近は、先輩社員も自分を守るので精一杯、部下の育成もまともに考えることができなくなっているようです。
前の研究所長は、「育つヤツは放っておいても育つんですよ。育たんヤツは何をしても無駄ですわ。」と断言していました。
技術者は自ら助くものを助く。先を読めない世の中を渡っていくのに、自分だけが頼みです。なぁんて言いながら、やっぱり
優秀な部下が頼みだったりしてね。
「100万人のキャンドルナイト」というキャンペーンがあったのをご存知ですか?石垣島が全島で消灯する、とか、大阪ではグリコの
看板の電飾が消えたり、東京では東京タワーのライティングがすべてOFFになったりしたようです。
当該HPではこの時間帯の日本の衛星写真と普段の日本の衛星写真を比較して紹介していますが、普段との変化を観察する
ことはできないように思いました。 新聞等にかなり紹介されていましたけどね。(朝日2003 6/17)
有名な看板の電飾を消したグリコなどは、事前に知っておいてもらわないと、会社が倒産でもしたのか、と勘違い
されるかもしれない、ということで、積極的に宣伝をしていました。
省エネに無縁な私の家では、寝るときにすべてを消さず、電灯の豆灯(といったらいいんでしょうか)をつけています。
真っ暗が怖いらしいです。それどころか、居間ではずっと私が起きているので、居間の電灯は終夜つけっぱなしです。
なかなか風呂に入らないので、ガスもつけっぱなし、夏の間は、ランちゃんのためにエアコンを入れっぱなしになりそうだし、
これを機会に少し反省しなければ。
ちなみに私の家と近所ではほとんど関心がなかったようで、コウコウと明かりがついていました。
話が横にそれますが、このホームページの中のよびかけ文には、「でんきを消してスローな夜を」とスローガンのように
書いて締めくくっていますが、「スローな」、ってスローフードから転用しているんでしょうけど、それとも、英文では
"take it slow"としていますから、のんびりしようよ、といった意味なんでしょうか、あまり日本語を適当に使うのは
感心しませんね。いくらキャンペーンの標語だからといって。
という雑誌の2003年6月号には"Counting On a Cool Tokyo Summer"と題した記事が出ています。(p.17)
夕暮れの東京の写真がきれいです。黒っぽくなったオレンジ色の空と、黒い富士山を背景に、高層ビルが林立しています。
新宿でしょうか、街は広告と照明で明るく輝いています。手前は、比較的背の低いビルの黒い海です。
それぞれのビルのところどころに窓の明かりが輝いています。
今年は、不祥事で原子力発電所が運転停止しているために、東京全体が停電するかもしれない、という内容の記事です。
東京は去年の夏に推定59GWの電力を消費したそうです。64.3GWというのが記録だそうです。
現在51GWしか能力がないようですが、どうなってしまうのでしょう。電力を超過すると、家でブレーカが落ちるように、
一瞬で全部電源が落ちてしまうのでしょうか。多分、電車や工場の電力などは別になっていると思いますが、
怖いですよね。できることといえば、エアコンの使用量削減、不要な照明は消す、などでしょうけど、真剣に取り組む人は
少数派なのではないでしょうか。
きっと、実際に停電してからあわてるのでしょうね。一寸先は闇、とはこのことです。(追記2)
京都へ観光に来たら、清水寺へ行ってみてください。随求堂という「塔頭慈心院の本堂」があります。有名な清水の舞台
よりも手前です。
入り口から階段でお堂の地下へおりるのですが、曲がりくねった狭い廊下には一切、明かりがついていません。真の闇を体験
できます。なぁに、すぐに目が慣れるだろう、と思うかもしれませんが、まぁ、一度入ってみてください。
光を求めて瞳孔を限界まで、目が痛くなるほど開こうとするのですが(自然にそうなります)、本当に何も見えません。前も後ろも
足元さえも見えない廊下には数珠の手すりがついていて
その数珠を頼りに一歩一歩進むのです。しばらく進むとぼんやりとした明かりが見え、梵字が一文字書かれた石が
おいてあります。
その後、また出口まで闇の廊下を進みます。
解説によれば、随求菩薩の胎内にみたてた、ということらしいです。曰く「暗闇の中で一点の光明を発見したとき、
心身の新生を覚えるに違いありません。お釈迦様は、明けの明星を悟りを開かれました。」
意外に人気があるようで行列ができるほどです。100円です。
私は闇の中を歩きながら考えました。これは、我々の人生そのものではないか、と。回りの世界が見えているから、
現実がわかっている気になってはいるけれども、次の瞬間に何が起こるか、本当は誰も
知らないのです。砂浜で遊んでいたら足元が陥没して生き埋めになってしまった子供がいました。本当に気の毒です。
排水溝の上のコンクリートの蓋の上を好んで歩く人もいますが、あれは、家内が嫌がります。
踏み抜くこともありえないとはいえません。私達は通常、自分の足元だけは崩れない、と思っています。むしろ、
意識に上らないほど、疑問にも感じていません。本当は、そんなことはありません。
自分の身にこの先何が降りかかるか、誰にもわからないのです。つまり私達は、まさに闇の中を手探りで歩いているのであって、
わずかに数珠のてすりを頼りに進んでいる。次の一歩で何事も起こらないことを信じて。
その先に光明があることを信じて。
目の前に危機が迫ってこないと何もしない、というのがフツーなので、「このままでは、日本経済が沈没する」
とか、「このままだと会社が潰れる」とか、「このままじゃ、リストラされるよ」といっても、言うほうも憂えるだけで、
いまひとつピンとこない、といった感じでしょうか。
このままでは、タマちゃんが危ない
と言うほうが、日本経済の再生につながるかもね。
追記・今回は2つだけ
(1)
つまりは、その場限りで責任はない、ということです。
(2)
東京電力は「でんき予報」を始めています。ケータイでも見れるそうです。(http://www.tepco.co.jp/d/)
さて、人間は見えない危機に対して大変鈍感で、理解することさえ出来ない、と読んだこと
があります。だから、扇動され過剰に反応することもあれば、「こんなもの大丈夫だ、たいしたことない」
と慣れきってしまうこともある。このあたりの考察はもっと深める必要がありそうです。
2003年4月27日の「時流自論」に長谷川眞理子氏が「ラップトップ抱えた「石器人」」という記事を載せています。
いくら、技術が進化しても人間の脳みそは石器時代から進化していない。東京電力の原子力発電所や、NASAのスペースシャトル事故
などの問題の根はそこにあるのであって、危機の予測、未来への想像力
の能力は、石器時代から進歩しているわけではないことを認識する必要がある、といった内容です。
もし、古い朝日新聞をとってあれば、あるいは、興味があれば図書館に行けば読めると思いますが、一読をお勧めします。
4コママンガ<ハムとラン> とキャラのページ (c)Shimamura,T |
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hardy@max.hi-ho.ne.jp |