を進めるうえで、日程管理とリスク管理は特に重要です。日程管理についていえば、日頃
から重要視している私としては、様々な本を買い、数ページだけ読んでは実践し、
いくつかの手法やフォーマットを試してきました。そういえば、2年前に受けた昇格試験の面談で、
人事の主査に訊かれました。
「これから、一つ上の職制にステップアップするにあたって何か自己研鑽に努めている
こととかありますか?」
来た!この質問なら楽勝だ!と内心思いながら、しかし、少し間をおいて、ちょっと考える
ふりを見せてから、
「まだまだ、日程管理の面で甘いところがあると思うので、手法を研究したり、ツールを
導入して使いこなせるように努力しています。」
我ながら、上手く答えられた、と思ってにっこり笑ったら、
「他の人が日程管理をちゃんと出来ているのに、あなただけ出来ていない、っていうのは
いったいどういうわけなんでしょうね?」
「・・・・」
あの後輩やこの同期あの上司やこの副参事なんかが日程管理ができているとは思えない、
なんて言うわけにはいかないし、
かといって、確かに、自分が日程管理ができていないことをことさらに強調するわけにも
いきません。
「ふざけやがって、てめぇらみたいな定型の仕事と違って、解決できるかどうかも
わからない問題が毎日のように噴出して、課題を解決すれば、それに伴って新たたな課題が発生し、
しかも、安全だの、環境だの、ロードマップだの、整理整頓だの、上への報告の資料作成
だの、会議だの会議だの会議だの会議だの、日程管理なんてフツーの神経じゃできねぇんだよ」、なんて
言えるわけもなく、頭を高速回転させて、なんとかリカバーするべく、
わかったようなわからないような答えをモゴモゴ言うハメになりました。
結局、「あなたのような考え方では、とても日程管理なんかできないと思います。モゴモゴモゴ。」
と怒られ、
「申し訳ありません、もっと広い視点でものを見るように努力します。モゴモゴモゴ。」
ときっぱりと謝りました。結果としては無事昇格できたのですが、いまだに思い出しては腹が立つ。
腹いせに、昇格候補の後輩に、この話を何度もしては、こんなきつい質問もあったんだぜ、とビビらせている
今日このごろなのです。我ながら、うっとおしい先輩だなぁ。
ついに18年ぶりに阪神が優勝しました。(2003年9月15日)また、道頓堀川に飛び込む人が何人もいたようです。 私の所属している研究所でも、阪神のウチワを常備している人が何人もいます。 さらに、クールで皮肉っぽい某主任技師が意外と熱烈 な阪神ファンだったり、アメリカ出張によく行くスマートな主任技師が飲み会で話をしてみれば 意外と隠れ阪神ファンだったりして、きっと、この16日は「阪神が優勝したので休みます」、とか 実験室のテレビで、無線LANの実験にかこつけて、「阪神優勝の軌跡」といった番組を見て呆けている 、そんな人が沢山いそうです。うっかり、「あんな、人気に胡坐をかいたようなチームは 嫌いだね」などと言えない状況です。私は、今は特定の球団にいれこんではいませんが、 以前ファンだった中日ドラゴンズや千葉ロッテマリーンズは少し気になります。中日は星野を見て、 当時監督をしていた近藤貞雄がかっこよかったので、 ファンになったのです。他に、阪急ブレーブス(現オリックスブルーウエーブ)の山田久志も大好きで したが、今中日の監督をしています。(というか、いました(過去形)という状況のようですが。) また、星野が阪神の監督をしているので少し複雑な気もします。
今はそれほど思いいれがないのですが、
川崎球場をホームとしてロッテオリオンズといっていたころに、当時の日米野球で村田兆冶を見て
一発でファンになりました。
村田は今でもテレビのスポーツ番組に顔を出しますので10代20代の人でも知っている人
は多いでしょう。なにしろ、54歳(2003年で)だというのに、いまだに
140km/hの速球を投げられる人です。ホームページ上で経歴をまとめたものを探してみました
が、講演依頼.comが一番よくまとまってます。
大きく振りかぶって足を高々と上げ、
最上段から投げ込む投げ方は、マサカリ投法と呼ばれ、少しギクシャクとした感じもしたけれど、
ダイナミックで格好よかったのです。重そうな速球と、大きく落ちるフォークボールが
特徴でした。こう書くと野茂によく似ています。
。プロ14年目に一度肘を痛めて引退の危機を迎えました。当時、腕にメスを入れるのはタブーだった
のですが、渡米して肘の手術をし2年間のリハビリ後、見事カムバックを果たし
40歳で引退するまで215勝をあげています。
ロッテは当時も弱かったのですが、強かった時期もありました。
昭和56年は前期優勝、後期3位でプレーオフで敗れました。村田19勝で防御率2.96、あの落合選手
が初めて三冠王をとった年でした。開幕戦の先発メンバーを見ると庄司、弘田(後に阪神に移籍)、
張本、リー、レオン、有藤、落合、土肥、水上、村田。ううーん渋い、って、言ったって、
このページのほとんどの読者は知らないだろうなぁ。でもレオンって、今、石毛の後を
ひきついでオリックスの監督をしています。
は、巨人時代しか知らない人は、なんか、鳴り物いりでよそから来て、本塁打を20本くらいしか
打てないくせに何故か4番に座って偉そうにしていたおっさん、
くらいにしか思ってないかもしれませんが、ロッテの時は本当に素晴らしい選手でした。
なんといっても、三冠王だろうがなんだろうが「俺には関係ないね」という醒めた態度と発言
、周囲に簡単に迎合しない一匹狼の凄みが魅力的でした。アウトコースの速球を
アッパースイング気味に払うように振り切ると、右中間のスタンドにボールが飛び込んでいく、
あの独特のフォーム、
どんな難しい球でもヒットにできる技術があるだけでなく、調子が落ちると上手に四球を選び、
打率を落とさないようにもできる。チャンスに強いので打点も多い。
ファンサイト
には当時の写真も載っています。やっぱりロッテ時代が一番かっこいい。
77年、東芝府中で活躍した落合を阪神のスカウトが見に来たそうです。落合は、ドラフトで指名
されればどこへでも行くよ、と言ったそうです。しかし、阪神は指名しなかった。78年秋に
十球団のスカウトがやってきたそうです。落合はまた言ったそうです。「おれはどこへでも行く」
と。そしてロッテにドラフト3位で指名され入団しました。25歳での遅いプロ入りです。結局45歳まで、
20年間現役、生涯打率.311、ホームラン510本、打点は1564で、首位打者、本塁打王、打点王を
それぞれ5回づつ、3度の三冠王に輝くバッターでした。
のノンフィクションは大好きです。小説も何冊か書いていますが、どれも面白い。
スポーツキャスターをしたり「スーパードライ」のコマーシャルに出たことも
あったので知っている人も多いと思います。
「ナックルボールを風に」は落合が三冠王をとった
82年の次の年、83年に出版されていて「アウトコース」という題で落合のことを書いています。
その中で「ぼくは落合博満という男がジャイアンツ・ファンであった時期は一度もないと思っているよ」
という会話からインタビューが始まった、と書いています。その後、落合は2度三冠王をとっています。
2回目の三冠王は85年、そう、阪神が前回優勝した年です。セリーグでは、バースが三冠王をとりました。
さらに、その後、落合は中日に移籍し、
巨人に移り、そのころには、もうすっかり丸くなり、「アウトコースのきわどい
ところを歩いてきた」落合の面影はあまりなくなってしまいました。気のせいかもしれませんが。
山際淳司は当時、スポーツライターとして3年目だったということで、そのクールな文体と緻密な内容、しかも
暖かい内容で売れ始めたばかりです。この本は、
12人のスポーツ選手についてのノンフィクションを集めたものですが、
「ナックルボールを風に」と題するものはありません。「ナックルボール」は最後の「エピローグ」
のサブタイトルです。書き出しを引用しましょう。
例えば、ぼくはナックルボールを投げるピッチャーが好きだ。
今、角川文庫から出版されているので是非買って読んでみてください。
なお、山際淳司氏は95年にガンで
亡くなりました。
今回のなんなんでしょうは、「枝豆」のうんちくをリスクマネジメントにからめて語るつもりだったのに、阪神優勝のおかげで 話があらぬ方向へ向かってしまいました。明け方の4時30分、なんだか、センチメンタルな気分です。
秋だから
・・・・特許を書かなければ。
4コママンガ<ハムとラン> とキャラのページ (c)Shimamura,T |
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