内輪話全開で、さるチームリーダの転勤の話を書いてしまいましたが、
それからまもなく、このコラムでもたまに登場していた私の戦友のS君も
チームリーダからはずれて、めでたく所長付け参事(注1)になってしまい、
いや、まったくもって、私の首筋も寒くてしょうがない今日このごろです。
これも、まぁ、想定の範囲内で、彼も私も、「いつ来るかというだけの話だもんなぁ」
という認識で一致、いつ何があってもおかしくないのが私たちです。
裏を返せばちゃんと深い深い理由はあるものです。
「それって栄転?」
と家内に質問されて、はっと気がつくことがありました。
この世界には、栄転でも左遷でもローテーションでもない、単なる異動が存在し、
結構それが多い、ということです。
つまりは、やらないといけないミッションがあって、そのために人をあてないといけない、
それにはこの人しかいないので、異動させる。
責任を曖昧にするために異動させるわけでもなく、所長への布石として海外へ転勤するわけでもなく、
給料も上がらないし、地位も上がらない。下がるというわけでもない。
「ふーむ。・・・自然の定めだ。」
そんなこともあって、未来の開発ロードマップや近々のテーマの遂行や人員配置、
そして世界平和や人類の未来について、思いを馳せていると、肩をたたかれ、
「パパーノさん、パパーノさん。」
「うん、なんだ。」
「大丈夫ですか?」
「いや、寝てはいないぞ、考え中だ。」
最近、朝日新聞の文化欄(10/7, 10/14)に「日本人は居眠りに寛容だが、それはなぜか」というテーマで
重田真義氏(京大助教授)とブリギッテ・シテーガ氏(ウイーン大助教授)の二人が日本人の気質について解き明かしていて、いろいろ興味深く感じました。
確かに電車で寝ている人も多いこと。
「おとーさんの場合は居眠りじゃないでしょう、鼾かいて口開けて
爆睡しているのはみっともないからやめてよね。」
「わかった、気をつけるよ。それから、保護者会とか校長先生の話のときには寝ないように
気をつけるし、それから、デパートで買い物中とか、遊園地で並んでいるときとか、レストランで順番待ちしているときとか、自転車で走っているときや歩きながらとか、絶対に居眠りしないから、さ。」
日本人は他人の居眠りをあまり不快と思わず、むしろ「昨夜、遅くまで勉強していたのかな」とか
「仕事が大変なんだな」と心配したりする「慮り」があって、これが「公的な空間」の中で「私的な行為」を
許容する、そして時と場合によっては、狸寝入りなどの例のように、「公的な空間」から自分を「私的な空間」
の内側に遮断する装置として機能する、という指摘です。
居眠りにしろ、ipodで音楽を楽しむにしろ、携帯メールを夢中で打つにせよ、
周囲から自分を遮断するわけで、パートナーと一緒にいるときにそんなことをしているのは、
「私はあなたから遮断した状態のほうが居心地がいいんですよ」というメッセージになるので、
気をつけたほうがいいようです。自分を慮ってほしいという思った一瞬、相手を慮ってみると
ふっと気がつくことがあるでしょう。
公共の中で、二人の世界を作り出せるシカケを作れば売れるだろうなぁ。二人で同時に居眠りをして
共通の夢を見れる、ってね。そういえば、電車の中で、ヘッドフォンの左右を二人で分け合って音楽を聴いて
互いに肩を寄せてうつらうつらしている
のを見かけますね。
記事では、さらに、近代以前の日本では暗くなると家に帰り、
仕事が終われば眠りにつく、時間に追われて睡眠を削る必要は
なかったが、産業革命以降は「時は金なり」になり、長時間起きて働くほど生産額が増えるので、睡眠を削ってでも
という風潮が生まれた、という指摘のうえで、現代は情報社会になり生産性は労働時間の長さと関連が
薄くなった、と話が進みます。
この点は少し疑問に感じました。知恵やアイディアを
生み出すには、相当量のインプットとしつこく考え続けることが必要であり、
一を聞いて十を知る、10人が同時に話しかけても理解できる、情報の海の中から必要な情報を
即座に抽出し関連させて組み立て新たなアイディアを着想できる、
そんな天才ならともかく、凡人は必死に時間をかけるしかない、というのが私の考えなのですが。
最後のほうに書いてあったのですが、アメリカのビジネスマンは、最近よく居眠りをするそうです。
短い昼寝が「パワー・ナップ」(Power Nap)と呼ばれて仕事の効率を上げるために奨励されているんだって。
参考記事1
参考記事2
「パワー・ランチ」、とかそういうネーミングが好きだねぇ、と半ばあきれながら、俺なんかもうとっくに
実施しているもんね、って誰ですか、そんなこと言っているのは。
特許を2倍出願できるのなら、いくら昼寝してくれたって構わない、と思うものの、いくら寝ても結局、特許を
書けない人にまで影響するとまずいので、そこらあたりが考えどころです。専用の仮眠室を作ったって、いつも
決まった人がのんびり寝ていることになったりして、仮眠室の主のような10年選手がいたりして、仕事への不平不満や
上司の批判などを得意になってしゃべりまくり安眠どころではなかったりして、というのは考えすぎか。
2時から5時までは町がまったく機能しない、というスペインのシエスタの習慣もなかなかのものですが、
パワーナップは20-30分程度が最適だということです。そういえば、最近、シエスタ
の時間を短くする法律が出来たと、どこかで読んだ気がしたのですが、ちょっと裏がとれませんでした。
シエスタかパワーナップかユンケルか、いずれにしても成果が出ないと、そのうち悪い夢を見て
夜も眠れなくなります。
「え?でもパパーノさんのように神経さえ太ければ、いつでもどこでも、
どんな状況であってもぐっすり眠れるでしょう?」
まぁ、ね。
ついに2006年も下期に入って一ヶ月が過ぎ、2007年度の事業計画を立てる時期がすぐにそこまで
やってきました。
最近、マネージャの難しさがどこにあるのか、またひとつわかってきた気がします。本来、マネージャは
目標の設定、スケジュール作成と管理、予算の作成と管理、メンバーへの仕事の割り振りと報告の要求、
リスクマネジメント、評価と判断、チームビルディング、ステークホルダへの説明と報告、
メンバーや自分の育成、といった仕事がメインで、マネージャは実務をしない、
煎じ詰めれば仕事を振り分けるのが仕事、ということになるのです。
最近、難しさを感じているのが「評価し判断する」というところです。ついこの間までリソースの問題から、
キリキリ実務もこなしプレイイングマネージャを気取っていたのですが、この場合、判断材料は自分の手の内に
あるので、自分で評価して判断すればよかったのです。ところが、一度メンバーに任せはじめると、
メンバーから判断材料が上がってこないと、状況も正確に評価できないし、次の一手をどうするか
判断ができないのです。
「あの試作品のデータをちょうだい。」
「なんで、そんなの要るんですか?」
「じゃ、この特性なんだけどさ、なんで右側がいつも欠けてんの?致命的だと思わない?」
「いや、なんとも言えません。最適化も終わっていないし、いろいろまだやっていることもあるもんで。
その結果が出てからですね。」
「じゃ、いつ結果がでるの?」
「そのへんは、これから調整して、決めます。」
「・・・・」
結局、自分でデータをいじらないと判断できないとなると、自分の専門の範囲内しか判断できない、ということは、
担当者の域を出ることはない、つまりはマネージャとしての存在価値がない、ということになるわけです。
評価・判断で大切なのは、そのための判断材料をうまく下から吸い上げることで、その前提として
判断材料がタイミングよく出るように仕事を明確に割り振ることができなければなりません。
当たり前?うーん、難しいですな。ここまで意識したことがなかったのは迂闊でした。
「所長、取締役から報告してほしいと催促されたので、日程を調整しました。来週の水曜日の
午前中です。」
「おお、パパーノ君、ご苦労さん。そういえば、
この間、取締役に『パパーノにいくら言っても、ヘラヘラ笑って報告せえへん。
どういうことや。』と、えらく怒られたわ。」
「アチャー、そうでしたか。すみません。」
ニコニコ笑っていたつもり
だったのですが...。
4コママンガ<ハムとラン> とキャラのページ (c)Shimamura,T |
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hardy@max.hi-ho.ne.jp |
注1)なんのことだか
わからない人、ごめんなさい。このポジションの微妙な響き、わかるかな?わっかんねぇだろうなぁ。
微妙なポジションですが、どんなミッションがあるのでしょう。所長が病弱すぎてサポートする必要がある、とか、
所長が勢いありすぎて火消し役が必要だ、とか、言うことを素直にきく優秀なブレーンが必要だ、とか、
いろいろ考えられますが、むむむむむ...。
追記)そういえば
昔、事業場の偉い方と議論になったときに、なるべく冷静に、なるべく場を落ち着かせようと
笑顔で話そうと努力したところ。
「てめぇ、なんで、そんなにニヤニヤ笑ってんだ。」
と急に烈火のごとく怒り出し、大変な目にあったことがありました。笑顔ってのも難しい。